傷だらけの旅立ち(前編)




 ここ1年ほどの間、研究室は急速に荒廃していった。ポストと研究予算を個人的な食い物にする職員、約1名。モラルの欠如と腐敗は政治の場に限らず、大学もその例に漏れなかった。

 「しょうがないだろ」「昔の先生はみんなやっていたことなんだよ」「そんなの、受け止める側の気持ちの問題じゃないか」。このロクデナシに“事の善し悪し”と“人の心の痛み”を理解しろというのは無理な話だった。

 多くは語るまい。志気は低下し、もはやこの研究室に健全な未来が期待できないことは明らかだった。Sweden!そんなある日、柳沢氏の目に止まったのは1枚の留学案内の張り紙だった。決断するのに言は待たなかった。決して“フリー○ックスの国”といった誤った認識からではなく、純粋に研究を楽しみ、心の平和を取り戻したかったのだろう。

   内緒で他研究室の先生方に推薦書を書いていただいて応募した。トントン拍子に話は進み、最終選考の5人にまで残った。“これで帽子を被れば田舎の名士みたいですよねぇ(by 正木)”な格好をして、東京の大使館面接に出かけた柳沢。が、面接を終えてから2週間、待てど暮らせどなかなか返事が来ない。重苦しく気をもむ日々が続いた。“柳沢さん、最近元気ないですね(by ハマ子さん)”。

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 2000年4月10日、無情にも郵送されてきた結果は <不合格> であった。



すぐさま受け入れ予定先の Professor に結果報告のメールを送る。次の朝、返ってきた返事:

「お話を伺って大変残念に思います。あいにく、経済的な支援無しにこちらで
研究生活を送ることは不可能です。(中略)しかしながら、あなたのメールに
よりますと自費でも留学したいということですね?3〜4ヶ月、様子見でいら
っしゃるなら喜んで歓迎致します。それでもしあなたがそのまま興味を持ち続
けて、なおかつ我々も好意的な評価ができるようでしたら何らかしらのアレン
ジが可能です。」                          

このチャンスを逃してはならない。


「すごいな、柳沢君。これでスウェーデン、国が破滅するじゃないか」by 前田
 いや〜、本人の名誉のために付け加えておきますがスウェーデン大使館面接は「日本全国」からの選抜で最後の5人まで残ったようです。惜しかったねー。 by U

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