ああ化学展



 1997年7月25日(土)現地時間 P.M. 6:49、アメリカワシントン州シアトルから一通の電子メールが satolab 宛に放たれた。

 From: uchida@tagen.tohoku.ac.jp
 Date: Sat, 26 Jul 97 08:49:39 Pacific Daylight Time
 To: satolab@tagen.tohoku.ac.jp
 Subject: [satolab:00074] greeting

 Hello! This is Uchida sending E-mail from Seatle Air port.
 By mechanical accident of air plane, I have been trapped in this city
 more than one day. ・・・
 (飛行機の故障でシアトル空港に足止めされています。もう一日帰りが遅くなるかもしれません ・・・)

 事態は急を要していた。未解決の課題も山積していた。週明けには仙台放送の取材陣がやって来る。

 今年の夏休みは佐藤研こぞって仙台市科学館で開催される“化学展”にガラスの装飾品を出展する予定だった。M1の柳沢と4年の正木がインストラクターを務める段取りになっていた(同じ4年の健太郎は院試の勉強中)。手本にならって廃蛍光管を砕き、電気炉で焼き固めるとキラキラ光るガラス玉となる所まではできていたが、色付けがくすんで今一つぱっとしなかった。何よりも高価なアルミナ製の蓋を型枠にして焼いていたため、大量に作るには別な工夫が必要であった。不安を残しながら日本を発ったのが1週間前、予想外のトラブルで帰りがすっかり伸びてしまった。「あいつら、ちゃんとやってくれてるかなぁ」
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 日曜日の午後、ようやく仙台に着いた。事態は何も進展していなかった(やっぱし T-T;)。ようやく見本品のガラス細工が1つ完成したのは月曜日の朝、取材が開始されるわずか1時間程前のことであった。

 取材が始まった。柳生アナとプロデューサー,映像係,この企画の仕掛人で仙台市科学館の國井さんの4名が佐藤研321室に訪れた。廊下に見物人が溢れる。普段見慣れない光景に辺りは興奮に包まれていた。部屋の奥に置かれた黒い演台のテーブルはハマ子さんが用意してくださったものだ。照明が炊かれ、内田助手と柳生アナ1対1のインタビュー形式で進められた。材料となるガラスはすぐ使えるよう、あらかじめ砕いたものを用意してある。「廃蛍光管を砕いて容器に入れて焼きます(内田)」「私も作ってみていいですか?(柳生アナ)」「どうぞ(内田)」・・・「ずいぶん簡単なんですね(柳生アナ)」

 続いて材料を用意する所も収録することになった。ここで内田助手は柳沢氏と交代した。まずは使えなくなった蛍光灯をスパナで砕くところから。「パン!」減圧された蛍光灯は、割れる時にかなり大きな音がする。案の定、取材陣は驚きで一瞬息を飲む。してやったりと満足げな柳沢。


 次に内側の白い粉を洗い流す番だ。「このようにしてブラシを中に入れて水を上から流し込むと綺麗に洗えます」おいおい、そんなセリフは打ち合せになかったぞ!「力を入れなくとも簡単にできます」「そうですねぇ、2〜3回もくり返せば十分です」なおも一人芝居の解説が続いた。相変わらず根は目立ちたがり屋さんだ。ん、違うってか? (^^;)
 放映された時に、この部分の音声がカットされていたのは言うまでもない。

 最後に各々美人アナの柳生さんと2ショットの記念写真を撮り、色紙にサインを戴いた。今一つ状況が飲み込めていないEkaは、なんだか分からんけど一緒に並んではにかんでいた。

 7月29日(火)、遂に“化学展”が始まった。初日の来場者数は午前で1000人を超えた。國井さんが各ブースに向かって檄を飛ばす。用意が不十分だったり、だらけた雰囲気を少しでも見せたインストラクターには容赦ない叱責が浴びせられた。幸い、我々のブースは一番人気のコーナーとなって(?)、連日大盛況であった。そりゃぁそうだ、1個1個ていねいに作った綺麗なガラス細工を100個以上テーブルに敷き詰めたんだから。




 ブースには常に2名を配置して半日交代制にした。一人はガラス細工の作り方を解説し、もう一人は“自分で作って持ち帰れる体験コーナー”を担当した。少なからぬ来場者が見本のガラス細工を欲しがり、あの手この手で誘惑・泣き落としをしてきたが公平を期するため交渉には一切応じないのが3名間の暗黙の約束だった。いや、内田と正木はそう思い込んでいた。


 事件は意外な所から発覚した。化学展もそろそろ終わりに近付いてきたある日、昼飯から帰ってきた正木は柳沢と交代した。するとしばらくして数人の女子高生が駆け寄って来た。「ねえ、これ1つもらってもい〜い?」「だめです、これは体験コーナーで作った人だけが持ち帰れるんです(正木)」。いつものことだ。が、次に予想だにしない言葉が帰ってきた。「えーっ、だって私の友達はさっきもらったって言ってたよ」。。。 あ・い・つ(横流ししたな?)。女子高生には甘い柳沢(← だって、どうしてもクレって言うから断わり切れなかったんですよぉ:本人談)。しかしながらこの手の犯行は(そう、裏切り行為である)この件に留まらなかった。周りを良く注意して見てみると、これと思しき女の子の手にはしっかりとガラス細工が。
 “こいつは簡単に落とせそうだ”そう思われたのかどうかは知らないが、いつの間にか柳沢は國井さんから直接個人的にガラス細工の依頼を受けていた。夜な夜なせっせと特注のブローチやらペンダントを作っては渡していた。「お人よしだなぁ(内田)」。

 8月17日(日)、成功裏のうちに化学展は幕を閉じた。長い3週間であった(このイベントで佐藤研の研究は3ヶ月後退した)。最後には整理券を配って見本のガラス細工全てを来場者にただでプレゼントした。伝説の?100人行列ができあがった。その晩、柳沢・正木にはバイト料が支払われた。結構な額であったが、それなりの労働に対する正当な報酬であった。しかしながら同じように(むしろそれ以上に)働いた内田助手には公務員であるがため一文も払われなかった。本人は別段気にもしていなかったが、可哀相と思ったのだろう、柳沢が「内田さんが何も貰わないなんて変じゃないですか、半分どうぞ」と言ってくれた。「なんて優しいやつなんだろう」。が、次の言葉に我が耳を疑った。「実は國井さんからもアルバイト料もらったんですよ」。。。

 「なにー!」「おまえ、我々がボランティアでせっせとガラス細工作りに励んでる横で取り引きしてたんか?(内田)」「どうりで毎晩遅くまで作業してるなと思ったんですよ(正木)」ありとあらゆる罵りの声を浴びたのは言うまでもない。



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