China 日記 2002


【2002.7.14(日)曇り】

 余裕を持って早めに仙台空港へ着く。つい2日前に見た風景。AirChina のカウンターは、、、ないぞ!?一瞬血の気が失せるも、荷物検査官の人に尋ねると JAL で受け付けるのだとか。紛らわしい。と、モタモタしている間に帰りの切符を紛失。館内放送で呼び出しを食らう。何やってんだ、オレ?

 実は内心かなり焦っている。講義用の OHP シートはなんとか徹夜で必要最低限の分だけ日→英化した。全部はとても無理だ。OHP を束ねたファイルが鉛のように重たい。しかししかし、焦っている理由はこれとはまた別。手荷物にチタニアペースト、色素等、聞かれると確実にヤバイ品々を運んでいるためだ。N3 dye は岸本産業製。ちなみに、、、先方の状況はこれから予算獲得をして、運良くそれが通った上で研究を本格的に始めようか?という段階なので、あまりピリピリしないように > 誰?
 持ち込んだデモセルのできはかなり美しいです。作製ありがとう > 千葉っち

 飛行機は約3時間かけてまず上海へ。手荷物を全て持って入国審査を受ける。ノーチェック・ノーコメント。Fビザのお陰か?時差はちょうど1時間。空港の銀行で両替をお願いするが、断られる。ここでは 元→円 only なのだとか。どうしよう?乗り継ぎの待合所にいた客はなぜか年輩の日本人団体客ばかり。更に2時間かけて遂に北京へ。Wan 先生に迎えられて車で北京科技大学へ。

【2002.7.15(月)晴れ】

 昨日は気温 41 ℃、湿度は日本と変わらず。おそらく今日も同じくらい上がるはず。 Wan 先生の提案で研究打ち合わせと観光を1日おきにしましょう、ということで最初に市内見学に出かける。案内は研究室の女性の学生さんにお願いすることに(多謝)。紫禁城(Forbidden City)を見る。漢字では紫禁城だが、実際に皇帝専用色として使用を禁じられていたのは黄色と金色。更に言うなら、お城なんていう規模ではなくて町(City)と表現した方が適切なくらいの広さ。大きい。本当に大きい。門をくぐると広い広場に出て、更にずっと向こうにはまた門が。これをくぐるとまた門が、、、いつになったらゴールにたどり着くのか不安になるくらい。スケールのでかさは間違いなく世界一でしょう。単に大きいだけでなく、今なお生きた文化を伝えている所がすごいです。

 あー、それにしても暑い。手に持ったペットボトルのお茶が沸騰しそうなくらい。お茶と言えばこれに限らず今回は飛行機のチケット、滞在中の食・住に至るまで全て招待頂いた先生持ちだったのですが本当に申し訳なかったです。

【2002.7.16(火)晴れ】

 今日は真面目にディスカッション。他研究室の先生、学生さん交えて朝から、、、夕方まで。下手くそな英語に最後までお付き合い頂いた皆様、ありがとうございました。お昼と夜、中華料理(当たり前?)。それはそれは豪華な食宴を頂きました。

【2002.7.17(水)晴れのち曇り】

 朝から TAXI で万里の長城へ。遊んでばかりで申し訳ない。お日様の下で太陽電池の打ち合わせ、ということで一つ御容赦を。ところで一昨日より中国で「近いですよ」はあまり信用しないことにしている。(笑)高速道路を飛ばしに飛ばして約1時間くらい(近いでしょ?)、入口に着く。“百聞は一見に如かず”の謂われ通り、もはや私の文章で説明不能。後で写真を up したいと思います。明 13 代王朝の地下墓墳もしっかり見て参りました。

【2002.7.18(木)晴れのち曇り】

 早いもので今日が最終日。午前、ディスカッション。午後はかなり面白いものを見せていただきました。シリコン太陽電池の研究では最も先端を行く北京市内の「太陽エネルギー研究所」を見学。ここでは実際に研究だけでなくパネルの組み立てと販売も行っており、作製現場も見せて頂きました。取り組んでいたセルの種類は3つ。単結晶 Si、多結晶 Si ともう一つ。一部のセルについてはちゃんと NREL に送って特性評価していました。自作の Zone melting 装置とか、ソーラーシミュレータとか、分光感度測定装置とか、現場の雰囲気も含めてかな〜りおもしろかったです。日本人でここを訪問したのは私が最初(で最後?)だと思います。研究室を一通り丁寧に説明案内してくださった方、どうもありがとうございました。

【2002.7.12(金)晴れ】

 フライトは朝の 8:45。振り返れば、あっというまの滞在でした。予想をはるかに越えて楽しい訪問でした。ここ数日、快食快○。

 で、夕方には仙台到着。先週、聡一郎を迎えに行った時はいつものように笑顔で足下に抱きついてくるのではなく、いきなり泣き出されてちょっと切なかったよ。帰りが待ち遠しい...