EGYPT 日記 2008 最終更新 3月2日 20:30 (Jpn)


【2008.2.23(金)晴れ】

 というわけで、突然ですがエジプト行くことになりました。くどいようですが
エ・ジ・プ・ト。太陽と観光の国。仕事持ちのサラリーマンなら、特に理由がな
い限り、行く機会無いと思われ。

 、、、戦いは既に出掛ける前から始まっております。やばいです。今回は観光・

短期であってもビザが必要。昨年は文化交流50周年だそうですが、基本的に仲の
良い国同士だったらこんなもの要らないはず? 押されたスタンプを見ると94番目。
恐らく今年に入ってまだ、たったの94人しか申請していないわけで、早くも不安
をかき立てられます。

在日大使館
VISA重要
前準備

 ちなみにHPを見て大使館へ申請に出掛けたわけですが、受付は午前中だけな
ので注意が必要(お陰で二往復するはめに)。手数料、なぜか 2,000 円値上げ
されてて 7,500 円だし。写真代と交通費含めたらお安くないです、もう!


【2008.2.23(土)晴れ】

 大方の予想を裏切り、まだ成田におります。って、どこかで見掛けたフレーズ
ですな。

 朝6時起床、のはずが寝坊する(普段、滅多にやらない)。がしかし、スケジュ
ールに余裕を持たせていたため大事に至らず。あぶねー。

 予定外のことは起きるもので、ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)でヒース
ロー空港乗り換えのはずが、理由もなく出発遅れてしまったため乗り継ぎが間に
合わず。急遽、アリタリア航空(AZ)でミラノ経由に変更。現地到着予想は
朝の
2:00
。呪われてる。。。


【2008.2.24(日)快晴】

 東京のアパートを出てからほぼ1日余り。途中、フライトは乗り継ぎの出発が
更に延びるなどして、結局カイロ空港に着いたのは夜 3:30。サインボードを見
る限りこの便が例外というわけではなく、24時間体勢で離発着がある様子。容赦
無い。で、タクシー。できるだけ避けたいところを、
選択の余地なく白タクに乗
。で、案の定ふっかけられる。(泣)

 事態が予想できていただけに(そういうシステムだし)冷静に値切り交渉。私
の予想は 15〜20 EGP、先方の言い値は 100 EGP 。「高い」vs「安い」「おまえ
は良いドライバーだ」vs「あんたはジェントルマンだ」「子供がいるから頼む」
vs「俺にもいるぞ」
以下、繰り返し

 深夜だし、いい感じのオッチャンだったので 60 EGP で妥協する。日本円で¥
1,300 程度。最後は笑って握手。考えてみると凄いですな、白タクの運ちゃんが
普通に英語でバトルするんですから。振り返って日本の英語教育、どこかおかしい。


池ノ上→成田  1.5h
空港待ち時間  6h
成田→ミラノ 12.5h
ミラノ→カイロ 5h
カイロ→ホテル 0.5h
  
Alitalia
  計   25.5h
Cairo 空港
ドナドナ

 ホテルは現地では5★級、可もなく不可もなく。入口は建物の壁がぶち抜きで空
港と同じベルト式の荷物チェック有り。
ホテルの玄関から先は、気軽に出入りでき
る雰囲気無し


 シャワーを浴びて洗濯をし、諸々の準備ができた頃には夜が明ける。朝食→仮眠。
ネットが1日 3500 円と高めなので、更新は全部まとめることに(モウシワケナイ)。



 ほとんど寝る間もなく会議がスタート。現地に来るまで詳細が公開されなかったプ
ログラムを見て分かったことは、日本人スピーカーは私を含めて僅か3名。Web で
リストされていた DSC 関係者の何人かは、ほとんどキャンセルした様子、てか、その
大部分は韓国系。いかんですな、アブストラクトに名前が載ったら目的達成で、参加
はドタキャンです。

 プレナリーはイケ面教授のマーティン・グリーン。この会議の目玉、いわゆる Big
Boss。中身は IPS-16 の時とあまり変わらず。ホットエレクトロンを始めとする量子
ドット系など、次次世代の太陽電池を披露するも、、、「現実性ないなぁ」と、つい。(^^;)

 ともすれば陰鬱になりがちなカイロ日和を一気に吹き飛ばしてくれたのが、かつて
のエジプト留学生エル・トニ氏。先方から日本語で話しかけられて、思い出すのに
30 秒。「おぉ〜っ!」、恐らく2年ぶり。示し合わせたわけでは無いのに、しかも
私が会場間違えて地元教育者向けの予算獲得に関するミーティングに顔を出した故の
ハプニング。偶然の再会です。世の中狭い。まさかこの日、こんなところで会うとは。

 ちなみに彼、帰国直前の中国人留学生から盗難車であることを知らずに自転車を買
い受け、警察に捕まり(←お気の毒)、私が身元引き受け人となって署まで出向いた
話は知る人ぞ知るです。懐かしいなぁ。

100 Euro/day
朝飯
窓の外
Dr. El-Toni


【2008.2.25(月)雨→晴れ】

 昼食を知らないメンツと相席で取る。このパターン、バンケットまでには何とかし
たい。となりのテーブルでは例の有名教授が「私、マーティン・グリーンです」とか
自己紹介している。思わず笑いたくなるのを、ぐっと堪える。

 いよいよ発表日。あっと言う間に時間が過ぎて、自分の番に。
プロジェクターがへ
たれで Mac からの出力が不安定、と言うよりも発色がおかしい。かつて何十回と世界
中で講演してきた中で、トラブルは2度目の経験。おまけに最初の登壇者が大幅に時
間超過したため、急かされつつの発表。

 とは言え、慌てることなく最適ペースを維持。Never mind。目線を配りながらパ
フォーマンス。最後はいつもの如くネスカフェで染色した DSC でプロペラ回しを披
露して締めくくる。自分で言うのも何だけど、かなりの手応えあり。気付くと会場は
(もともと狭いので)立ち見状態に。発表終わると質問者に取り囲まれる。有難い。

くろっぺ


【2008.2.26(火)晴れ】

 ホテルにカンヅメの生活、今日で3日目。遂に開放(?)される。午後は丸々エク
スカーションに。青空の下で会議、ということで御容赦を。出掛け、いきななりグリ
ーン教授に呼び止められて、昨日の発表は面白かった旨を伝えられる。お世辞とはい
え、研究者冥利に尽きますなぁ。(嬉泣)

 カイロ博物館→ピラミッド→スフィンクス。ちなみに撮影スポットには必ず呼び込
みのオヤジがいて、シャッター押してもらうだけでも、後で「高い」「安い」を繰り
返すことになるので御注意を。

M.A. Green教授
カイロ博物館
パピルス Shop
本物です
基礎が大事
これ、化石じゃないですか?
横から
3ピラミッド
お約束
スフィンクス
の後ろ姿
ホテルへ帰還


【2008.2.27(水)晴れ】

 昨日とうってかわって、終日会議場。今にして思うと、私でなくとも良いんですが、
日本からきちんと DSC の現状を PR できたのは非常に重要でした。技術的に立ち後れ
た海外でも、かなり関心が高いことを確認。Solar'08 の名前が示す通り、太陽エネル
ギーの利用に関する国際会議であるにも関わらず、太陽電池は有機系(色素電池含む)
以外は全く見向きもされず。日本の国内事情とは対照的です。

 夜、お待ちかねのバンケット。某M菱の研究者を無理に引き込んで、御同席して頂
く。モウシワケナイ。(^^:)

町外れのクラブ
エジプト楽団
踊ります
回します
エンディング
エジプト料理
藤平先生@東工大
Marc@DYESOL


【2008.2.28(木)晴れ】

 早いもので最終日。さすがに 4〜5 日顔をつきあわせてホテルも食事も一緒だと、
顔も大分覚えて妙な連帯感が生まれます。せっかく見知った人と分かれるのは名残
惜しい。献身的にサポートしてくださった現地の皆様、どうもありがとうございま
した。
m(--;)m

今日の朝食
ハイビスカスジュース
今日の昼食
デザート
コーヒーブレーク
よく見るとおかしい
玄関の横にある...
つややかな藤平先生


【2008.2.29(金)晴れ】

 エジプトの滞在スケジュール、実はもう一日あります。偶然は重なるもので、カイ
ロ市内、Menoufiya 大の先生で日本(東大)への短期留学を希望している本人がこの
会議に出席していたため、打合せをすることに。金曜日は基本的に休みなので、ちょ
っと、いや、かなり申し訳なかったかも。

Dr. Hafez


【2008.3.1(土)】

 移動日(機内泊)。

【2008.3.2(日)】

 当初の予想とは裏腹に、お陰様で驚くほどトラブル無く快適に戻って参りました。
私にとっては初のアフリカ訪問。天候も、我々一般に思い浮かべる砂漠の国(=暑い)
ではなく、初春の暖かさでした。風が冷たいので、昼でもコートが必要なくらい。

 時差ぼけとか体調不良とか全くなく、内心実は困っていたりします。と言いますの
も、明日からまた国内で講演会続きで網走→米沢。なおかつ貯まった原稿(出掛けに
2件、脱稿したのですが)、、、本当にごめんなさい。不謹慎ながら、いっそのこと
体調崩して寝込んでしまい、宿題の仕事が全てキャンセルにならないか?と妄想する
こと何度も。明日と言わず、今すぐ頑張りますので、あと少しのご猶予を。

 次の会議は2年後です。恐らく今回いけなかったルクソールで開催。シュクラン!

British Airway
お土産店1
お土産店2
お土産店3
お土産店4
お土産店5
お土産店6
痩せた?(^^;)

*現地の人に確認したところ、タクシーは 15〜20 EGP、特別な事情があっても 30
 EPG 以下ということでした。
*英語は日本で言う幼稚園の頃から教わります。そもそも、全ての授業が英語で行
 われるそうで、聡一郎(小2)よりずっと小さな子と会話できたのは驚きでした。